【客だから偉いなどという論理はそもそも存在しない】売り手と買い手は対等な存在
日本は特に傾向が強い「客だから偉い」という風潮。
お客様はあくまでもお客様であってそれ以上でも以下でもない。
お店は設定された値段で商品を売り、サービスを提供する。
それ以上でもそれ以下でもないのにお客さんは過剰なサービスや上得意のような扱いを要求する。
お店はサービスや商品を提供する。
お客さんはそれを「通貨で手にする」
立場は対等でありそれだけのシンプルな関係なのですが、何故「客だから偉い」「客なんだからもっと丁重に扱え」などという発想が生まれるのでしょうか?
あくまでも僕個人の主観ですが、原因は「資本主義」にあるのではないかと思っています。
それが全てではないと思いますが、お客さんがお金を払うことで利益が生まれ、利益があるからお店が成り立つ。『俺(私)が金使ってるからお前たちは生活できているんだぞ』という論理に行きつくわけですが、そもそも1人が使う金額で社員の給料、会社やお店のテナント代、水道・光熱費、設備メンテナンス費など1ヶ月分すら到底賄うことなど出来ないのですがお客側の心理としてはそうなってしまうのでしょうね。
沢山のお客さんがお金を使うからお店や会社が成り立つのであって1人のお客さんがどれだけお金を使おうと殆どは1ヶ月分の経費にすら及ばないのですが…。
あくまでも大勢の中の1人に過ぎないのですが、それを『自分が金使うからお前らは飯食えてんだぞ!』に変換される。
極端な表現になりますがお金で買える物は誰でも買えます。
ビジネスで成功してお金稼げば誰でも買える。
そんな「誰でも買える物は価値の大きさが違う」だけではないでしょうか?
そういった振る舞いが相手からの印象を悪くし、サービスしてもらえなくなるのを分かっている人は「良いお客さん」に徹する。
実際自分が見てきたセンチュリオンカード(俗に言うブラックカード)所持者で大柄な態度や物言いをする人は見たことがありません。
本当に価値があるものとはお金で買えないもの。
心の豊かさではないでしょうか。
昨今体験型のサービスやレジャーが好まれているのはそれの典型と言えますね。
物を買うよりかけがえのない体験にお金を使う。
大切な人との時間にお金をかける。
物に囚われている限り一生求め続けるから満足することがない。
心が満たされない。
一時の快楽を一生追い続ける。
これもある意味ラットレースです。
お店側が迷惑なお客さんでも対応するのはあくまでも「仕事」だから。
「気に入らないなら来るな」くらい言えるような社会にならないとサービス業をやりたいという人は少なくなっていきますし、人手不足も解消されません。
海外では従業員に暴言を吐くお客さんや横柄なお客さんには真っ向から『No』を突きつけると聞きますし、整体師時代に接客したお客様で3ヵ国で海外在住経験されたお客様も同じことを言っていました。
社員ファースト、従業員ファーストという言葉が独り歩きしているのが日本の現状。
残業を減らし、長時間労働を抑制するなどもっと身内を守るように(と言っても不正などには厳しく対応)しないといけませんね。
日本ほどお客さんに甘い国はないのではないでしょうか?
丁寧に接するのと甘やかすのは違います。
そもそも店員が丁寧に接しているからってデカイ態度取るような人は『お客様』ではないのですが…。
日本は資本では豊かになりましたが教養が追いついていないから心は貧しくなったのかなと感じています。
礼儀を弁え「良いお客さん」ほど特をしてそうでない人は良いサービスを受けられない。
今後はそんなサービス格差の時代になっていくのではないでしょうか。